もし、自分の周りに見える世界や自身の全ストーリーを創造しているのは自分のエゴだと気づいたら、大変な話の展開ですね。ここで体験していることは自分自身の状態が外の世界の状態となって自身へ帰ってくるだけです。それはその出来事に対する最初の反応や解釈が、やはり正しかったのだという事を強く証明する形で戻ってくる事を鏡にしているのです。
可笑しなことですが、私達は本当によく、エゴ的な反応のくだらなさを笑い飛ばしながら、終日、エゴとの言い争いや化かし合いに明け暮れているのです。
エゴの目から見て、現実世界を裁き、この世界は自分が作りだした幻であることをエゴの目が覆い隠しているのです。そもそもエゴとの言い争いを始めれば、自分がエゴの思考のパターンの罠にはまり、何も無い事が何も無い事に(無が無)に反応している事に気付かず誤魔化されているのです。エゴとの言い争いはお話にならない馬鹿げたことですね。しかし、現実の創造とはエゴとの相互反応関係によることを無視して、いつまでもエゴとの馬鹿げたお喋りに付き合わなくてはなりません。因みに私のエゴは甘く囁く言葉で「今、おやつが食べたいな・・・。」とそそのかしてくるのです。エゴに言われると子供のおやつを買いにコンビニへ走っていきますよ。本当に子供のせいで、母親の私は白砂糖づけになるのも仕方ない事ですね。出来過ぎた仕組みです。エゴに御馳走を与えているのか?それとも私が食べたいのかしら? 生存欲求? 優柔不断なワタクシメは甘い誘惑につい降参してしまうのでした。